野宿で日本一周

    1北京編  2海外一人旅編  3若いときの日本一周編を思い出しながら、150ページほど記してきましたが、このページで完了となります。お読みになってくださり、本当にありがとうございました🙇

    4月の新年度に、大学に復学するために、3月半ばで波照間島を去った。沖縄本島から、東京までフェリー😉2等船室、雑魚寝です😭大型船は複雑な揺れをするので、皆さん船酔い😭私だけ、平気で食事しました。

    土産のしゃこ貝の貝殻20枚は義母に鉢の代わりに良いと全部取られた😱巻き貝🐚をヤスリで削って、指輪にする技術を八重山に流れて来た人に教わった😃何人かの女性にプレゼントした。星砂をたくさん持ち帰った。これも好評だった。

    東京板橋に3畳間を見つけ、大学3、4年の2年間を過ごした😅3畳の生活もなかなかで、いろんな話のネタがあるが、紙面が尽きたので、書きません😅

    最後まで、お付き合いくださり、本当にありがとうございました🙇皆さん、どうかご健康でお過ごしくださいね🙇

野宿で日本一周

    波照間島の生活ぶりの話の続き☺️

    トイレはぼったん便所😅水は雨水😅隆起珊瑚礁の島なので、井戸を掘っても海水😱雨水に最初は抵抗があったが、そのうち、そのまま飲むようになった。3~5mの巾のコンクリート製の四角いものが貯水槽。そこに雨水が雨どいから直接流れ込む😅

    その水でからだを洗う。蚊がブンブン❗蚊に食われながらの水浴びだ😱布団は無し😅寝袋😅畳に寝ると、腰が伸びる。痛い‼️6ヶ月の間、40kgの重さを実は腰で背負っていたので、腰が曲がってしまっていたのだ😱

    食事は自炊😉島に食堂はない。朝、5合を竈を使って、釜で炊く。朝1合、昼と夜は2合ずつ☺️1日5合食べた😃今じゃ考えられない😅今は1日3食で計1合しか食べない😅おかずは、島の売店で買う。豆腐屋さんもあった。缶詰めが多かった😆海が時化ると、売店の棚から商品が消える😱一夜干しの魚か魚肉ソーセージがたんぱく質源😁野菜は高いので、時々、大屋さんの畑から、菜っ葉を抜いて😅えへへ😅あと、パパイアの木があちこちの家の庭の木になっている。緑のパパイアは炒めて食べた😃無料です。黄色く熟したパパイアが食べたかったが、ちょうど食べ頃😁明日の朝、収穫と思っても❤️熟したパパイアの実に必ず烏の嘴の痕が😱いつも先を越される😭リュウキユウハシブトガラス😁群れている数はもの凄い😱

    どこの生け垣にも「🌺ハイビスカス」いつも花が咲いている☺️

    蟻が凄い😱帰ると、食べ物に群がっている😱一計を案じた😃空中に吊るすようにした😃✌️ばっちり😃✌️

    サトウキビ苅りを手伝った😃🏍️に乗った😃本土復帰して間もないので、まだ右側通行だった😭

    島のお年寄りとも仲良くなった😃北の北海道のお年寄りは冬の厳しい寒さと闘うので、気合いの入った顔つき‼️南の沖縄のお年寄りは緩くて、ほわーんとしている☺️どちらのお年寄りも魅力的だ😃

野宿で日本一周

    本土最南端の波照間島でアルバイト生活が始まった😃2か月半😁島の診療所のコンクリート造りの建物を建てる😁しばらくすると、食事の時の鍋が超熱い😱手を見ると、指の皮が溶けていた。指紋がなくなっていた😱軍手だけで、セメントをこねていたので手の皮が溶けてしまっていたのだ😅それ以外は、ミスもあったが、まずまずの働き方ができた。時々、親方の晩酌に付き合わされた😆沖縄八重山の焼酎「渡難酒」😆肴は「島豆腐」😃いろいろ島の話を聞くことができた。島の住民は千人ぐらい。小中学校がある。高校からは島外になる。小学校にはアメリカ人とのハーフの女先生がいる😅台風🍃🌀☔は半端ないって‼️島の南側の海岸崖が20mあるが、大波が超えてくるそうだ。更に台風の直撃になると、木製の沖縄の家では、家族総出で木製の雨戸が飛ばされないように、徹夜で押さえる😱そうしないと、雨戸が飛ばされて、強風が侵入して、あっという間に屋根が飛ばされるそうだ。雨戸を押さえていると、突然、強風が止み、きれいな星空が出現する☺️安心してはいけない😱「台風の目」に入ったからだ😅台風の円の中心ということは、まだあと半分、台風⚡🌀☔の脅威にさらされるということだ😱

    夜釣りによく出かけた😅あまり釣れなかったが、満天の星空は凄かった😁天の川も流れて、明け方には夜空に横たわるのだ☺️ 

     親方が空き家を紹介してくれた。月の家賃は6千円😃島を離れた人の家、沖縄そのもの。もちろん、ガラス戸は台風が来るのでなし。夜は雨戸を閉める。二間で庭もある。電気有り、ガスは無し、水は雨水を溜めたもの😅次に続く

野宿で日本一周

    フェリーで沖縄本島に着いた😃直ぐにフェリーで八重山石垣島へ。そして、日本最西端の与那国島へ。漁船に近い🛥️で。海が時化て、大変😖💦だった。でも、船酔いもしないで、無事に到着😆最西端の灯台まで登る😅細い道を登っていったら、放牧中の赤牛と鉢合わせ😉「もぉ~‼️」と威嚇される😱闘牛士じゃないって😵石を拾って、投げつけたら、道を譲ってくれた😅港を散策すると魚市場風の建物があった。数匹の大きな🐟まぐろを女性たちで値段をつけあっていた😃この島では、男が魚を捕り、女が買って、航空便で本島や本土へ😃のようだ。

    次に、イリオモテヤマネコの棲む西表島へ。自然保護の為に、一周道路がない😱西表のジャングルを通って、向こうの村へ😃途切れ途切れに続く山道を、「ハブ」に気を付けながら、8時間歩く😅途中に鶏🐔の死骸がいくつか。😆イリオモテヤマネコの餌😱ハブは遇わなかったが、恐竜っぽい蜥蜴や毒のないサソリモドキを見つけた😅山中で一泊😖💦ハブが怖いのでテントは張れない😱捨てられていたぼろトラックの運転席で夜を明かす😱朝、向こう側の村に着く😅野生の猪が捕まっていた。檻の中に😵近づいたら、村人に怒られた😣💦⤵️

    最後に、石垣島から本土最南端の波照間島へ。隆起珊瑚礁で出来た島なので、何もなかった😅診療所を建てている大工さんから、アルバイトをしないかと誘われた😃横浜でもどうせ3月末までアルバイトをするつもりだった。こっちでしばらく生活を送るのも良いかな?

野宿で日本一周

    ほとんど無一文で大阪に到着😭初日は天王寺動物園のある公園のベンチで寝る😅後で聞いた話😉治安が悪くて有名な場所だった😅晩御飯はブドウ食パン🍞だけかじったことを思い出した😆

    次の日、職業安定所に行き、アルバイトを紹介してもらった。「測量技士」の手元(助手)で、住み込み😃給料はまずまず😁雇い主は年下😢大阪環状線桃谷駅に行って、彼と会う😅もちろん採用😉年末までの2か月間😃翌日から出張😭高野山中のゴルフ場造成地の測量助手😱下草の残る急斜面を測量する。助手は測量の棒と杭をかつぐ😱半端ないきつさ😱夜は、工事現場のプレハブ小屋に泊まる。2週間仕事が続いた😆なんとか最後まで助手の仕事ができた。一番良かったのは、建設会社の人が毎日、「松茸」を採って来てくれて、一生分以上を食べさせてもらった😅

    雇い主は鳥取出身なので、そちらにも車で出張して、測量の仕事を手伝った😅但し、11月になったら、仕事先の大山山麓に雪が降り、春まで仕事は中止😭それでも、12月下旬まで働けたので、30万円ぐらい稼げた😃

    住み込み先は普通のアパートで、5、6人で雑魚寝😭食事は外食😉「うどん定食」(関西風の出汁としこしこうどん、かやくご飯)をよく食べた☺️旨かったぁ☺️

    出張では、よく「ラブホテル」に泊まった。でも、大丈夫😱離れて寝たから😃

    アパート代などの共通費用と前借りを引いて、20万以上残った😃もちろん名古屋の女友達に返済😃あと、1日休みをもらって、千里丘の団地にある女性を訪ねた😃高校の九州修学旅行のとき、宮崎観光バスの美人ガイドさんに一目惚れ😌🌸💕クラスでも何人かがファンに😁高校卒業後に、友人と3人で宮崎まで会いに行った😅クラスでは、一番多く手紙を出していた😅その後、退職して、結婚して、大阪に住んでいた😃5年ぶり😃相変わらず綺麗だった😃帰り際、頬っぺたにKissしてくれた😃もっとも3歳の娘さんからね😭

    「日本一周」で武者修行😉人から偉いなぁと言われて、自分も満足していた😅それが間違っていたと思い知らされた😆鳥取の出張先で、雇い主の若者の知り合いの30歳前の女性から、「人生修行」は旅ではなく、「日常生活」の中に有るのではないか?毎日の暮らしの中で精一杯生きることこそが「人生修行」では?とさりげなく説教されてしまった😆「日本一周」で修行などとのたまって、驕っていた自分が恥ずかしくなった。たぶん、彼女は新興宗教の信者さんだと思う☺️

    まだ、大阪から沖縄まで、長い道のりが残っていた😅でも、早く旅を終えようと考え始めた😆岡山で北海道で知り合った看護婦さんに会った😃関門トンネルを歩いて九州まで渡った😃海底トンネルの歩道があるのだ☺️それ以外は鹿児島まで一直線😃すぐさま沖縄までのフェリー🚢に乗った😅次回は沖縄編です😉

    

野宿で日本一周

    名古屋に着いた😃以前、記した北海道出身の女工だった女友達の家に向かう。数年前にお嫁さん👰旦那が会社に行っているので、義父母の家に案内される☺️なんと、そこから延々と8時間喋りっぱなし‼️義父の聞き上手はお見事😵さぞや、聞きくたびれただろう😅

    日本一周は独りボッチ😆一週間話さないと、唇が動きを忘れて、うまく話せないのだ😱イヤー、普通なら大部分の人は自分の話を聞いてほしいわけ😅だから、「うん、うん」と話を聞いてくれたこの方が今でも一番ですね🙇

    一晩、ご厄介になり、美味しい家庭料理、気持ちいい💧😃♨️お風呂、おまけに🍙お弁当😃本当に図々しいし、甘ったれ😵そして、通帳の残金は残り僅か😆大阪でバイトのつもり😃一万円彼女から借りた😅

    三重県の、最後にニホンオオカミが目撃された「大台ヶ原山」「大杉谷」を山登り😉下山中に、山道で「赤まむし」が鎌首をこちらに向けて、「シャー😱」石を投げつけたら、ようやく逃げていった😃

    市内行きの🚌は出た後だった😆しかたなく歩き出す😭上から降りてくる車から、「お兄さん、乗ってく?」と声がかかった😅良かったぁ☺️日本一周をしていると話をしたら、何とせっかく松坂に来たのだからと「松坂牛」をご馳走しようと言ってくれた😃美味しかったぁ☺️松坂牛は後にも先にも、これ一回ですぅ😅もちろん沖縄から絵葉書を出した😃

    ヒッチハイクは何回かチャレンジ😉結構、止められるようになった。コツを掴んだのだ。ヒッチハイクとか、見知らぬ人の家に泊まるとか、今では考えられないことをたくさんやったと思うよ😃

    JRで紀伊半島突端の潮岬に着く。テントの中から顔を出して、海からの日の出を見ました😃

更に、大阪に向かって汽車で進む😃和歌山で財布を見たら、千円札3枚しかなかった😆どうしようか?駅にあったポスターが目についた😅和歌山競輪開催中😃一攫千金❗もちろん、素人が勝てる訳がない😭すってんてん😵

野宿で日本一周

    新潟から能登半島まで、汽車で移動😉まずは、永平寺😃曹洞宗の本山😃寺内を見学した😃荘厳、厳粛、鬱蒼とした杉林の山中に、長い廊下がずっと続いている❗空気が俗界と違う❗修行中の若いお坊さんと何人もすれ違う❗知らず知らずに立ち止まって、手を合わせてしまう😅

夕方になり、森の中の境内にあったベンチで一晩過ごそうと準備を始めたら、若い僧が一人やって来た😆「ここは寺院内だ‼️とっとと出ていけ‼️」高圧的な言いぐさに思わず反抗してしまった😅言い合いの中、少し偉いお坊さんがやって来た😃お互いの言い分に耳を傾けた後、「君は、このベンチで😌🌃💤のではなく、「地蔵堂(若い僧が修行する前にしばらく寝泊まりする所)で休みなさい。もし良かったら、朝3時に太鼓が鳴るから、起きてきなさい。」

    湿った薄い布団だったが、熟睡😪💤💤ここで、一生の不覚😭太鼓の音は聞こえたが、起きなかった😆6時になって、あのお坊さんに会いに行ったら、残念そうに「そうか、起きられなかったか。」たぶん、修行僧の真似事をやらせたかったのだろう😅強烈な思い出と悔恨を抱きながら、「うん、仏教の世界に身を置くのも良いな😃」と思った。

    輪島の朝市で、お婆さんから魚を買って、食事を取った。旅行中の若者が40kgのリュックサックに興味を抱いたようで、「背負わせてほしい」と言ったので、試させたら、かなり重かったようで、ひいひい言いながら、しばらく背負っていた😅

    能登半島の突端に「ランプの宿」電気が通っていない😭面白そうだったので、泊まった😃まぁ、ユースホステルみたいな所だった😃50年経っても、ランプの宿は存続😉今は女性に人気の宿になっているそうだ☺️

    高山本線に乗って、飛騨高山へ😃間違えて飛騨古川という駅に降りてしまった😆次の汽車は数時間後。しかたなく古川の町を散策する☺️これがなかなか良かった😃高山は観光地で回る人が多い😱でも古川は高山と同じ古い町並みを残していて、静かな佇まいに触れられながらの散策は最高だった😃あと、郡上の徹夜踊りで有名な郡上八幡も訪ねた😃訪ねた理由は、郡上節が好きだったから😃町中に懸かる橋から眺めた急な清流が印象的だった。